こんにちは、たいちゃん。です。
本日、羽生さんがプロ転向の意思を発表されました。
彼が「引退」という二文字が好きではないと会見で述べていたのであえて今回は使わないで私の思いの丈をお話ししていきたいと思います。
彼の存在を初めて知ったのはおそらく2011-2012シーズン。ロステレコム杯か中国杯のどちらか。
SPで80点超だ。というテレビの中でのおさらいVTRのようなものだったと思います。
ロステレコム杯では真央ちゃんとアベック優勝。これははっきりと印象に残っています。
ケベックのGPファイナル。暗めの会場に光ったホワイトゴールドっぽい柔らかい色の衣装がキラッと光って、羽生さんの顔の血色もよくて、かわいらしくて。
全日本では、おもいきり雄たけびあげて初めての表彰台、世界選手権に選ばれて。
ここまでは一スケートファンとして俯瞰的に見ていた羽生さん。
はじめの印象は女の子っぽいかわいらしい人だな。ぶりっ子なのかな。
今言ったらたたかれてしまいそうな感じですが、正直に言うとこれが本当の第一印象です。
そして、私と羽生さんの(?)歩みが始まった、ニースでの世界選手権。
この大会の動画を何度も見返して、彼に一気に引き寄せられた原点を思い返す。
そんな生活が今も続いています。
ちょうどニースの世界選手権の一年前。私も経験した東日本大震災が起きて。
彼の地域のほうが、被害が大きく津波がきたことでしょう。私はいまいちよくわかりません。
彼の書籍にもあったように、自分がスケートをしていていいのかと思い悩んでいた時期。
それから一年。ニースで魅せたあの演技。
心が動いた。
当時小学2年生だった私ですが、転んでも立ち上がる精神を気づいたような気がしました。純粋にかっこいいな。すごいなと思った。
そのあとのシーズンも一生懸命に応援した。
カナダに行って、最初のグランプリ。SPで自己ベストを更新。かつ世界最高得点。
NHK杯ではまた世界最高を更新。FSではスピンで回り切れず。最後にウフッとする仕草。
全日本では髙橋大輔選手との一騎打ちを制して見事初優勝。
四大陸では瞼を切ってばんそうこうで登場したなんてこともありましたね。
2012-2013シーズン。カナダ・ロンドンで行われた世界選手権。
両足に痛みを抱えて臨んだ羽生さん。
当時はそのことを知りませんでした。
SPが終わった後泣いていたことも知りませんでした。
FS。4回転2本を意地で耐えたこと。ソチオリンピック3枠死守のために踏ん張ったこと。
膝から崩れ落ちたあの演技。
私は怖くてあまり見れていないんです。
理由は特にないんですけど、なんか自然と目にしていなくて。
今回久しぶりに、また目を通してみようと思います。
そしてやってきたソチシーズン。
なかなか、試合を追うことが難しかったシーズンでした。
見ていたのは見ていたんですが、この時は羽生さんよりも真央ちゃんだったので。
女子ばかり気にして、男子をおろそかにしがちで、、。
正直、ソチシーズンの前半の記憶はありません。笑
グランプリファイナルあたりからは鮮明に覚えていますよ。
99.84
この点数を見たとき、びっくりしましたね。
開いた口が塞がらないとはこういうことかと。
たまにパスワードの一部だったり、PINコードによく使わせていただいております(言うなよ)
真央ちゃんとアベック優勝して、全日本まで優勝して、華麗にソチ代表入り。
団体戦に出たのもこの時だけでしたね。
憧れのプルさまと一緒に、試合に出ることができて、羽生さんの表情が柔らかったなと思います。
ずっと言っていた、オリンピック金メダルをソチで達成できて、本当に喜んだことを覚えています。
さいたまでの世界選手権SPでミスがあって、7点差をひっくり返した時、ジャンプして喜んでた姿。自分もジャンプしたのを覚えています。笑
その次のシーズンは試練の連続でしたね。
中国杯での激突。全日本の後の尿膜管遺残症の手術があったり。
世界選手権前には、捻挫があったり、手術痕が炎症を起こしてしまったりと本当に万全のコンディションではない中2位、銀メダルで。
ハビに悔しくて抱き着いたりするシーンも懐かしいです。
初めての国別対抗戦も懐かしいです。オペラ座JAPAN!feat.ミス・サイゴン宮原みたいな。笑
FSのファントムの仮面を外すヤツめっちゃ好きでした。
そして、覚醒のシーズン2015-2016シーズン。
オータムも見たし。初めて。笑
スマホを持ち始めた時期でもあったので、しっかり検索かけまくって。
スケカナでSP6位?とかでおいおい、、。みたいになったことも。
逆転で2位に入ったことも。
ダイスと並んで表彰台に立ったことも。懐かしい。
皆さんの記憶の中にも、擦り込まれているであろうNHK杯。
SPはテレビで見てたんですけど、FSはディズニーに言っていたので笑
結果だけ見たのですが、シンデレラ城の前で飛び跳ねましたね。
絶対周りからはやべえやつだったと思いますが。
GPファイナルでのあの神演技。何度見返したことか。
テレビでも何度も紹介されてたりしましたよね。
TOTALであの得点を超えた演技はなかったですね。330.43
何度も何度も見返した演技、最近見返してないな、、。
昌磨くんとの結婚式も懐かしい。かわいかった。
LINEのトプ画にしたりしてたし。(乙女かよ)
全日本はあんまりいい出来とは言えませんでしたよね。羽生比では。
アクセルでミスが出てしまったり。
そのあとの年始にね。結婚報道が出たりね。懐かしい。泣いたわ。
お前同性だから結婚はできるわけがねえだろう。というね。
当時は思っていたのですよ。当時は。
けどね、しっかり否定して結局流れたしね。
最近のファンの人は羽生さんにこの報道があったことを知らない人も多いみたいで、私びっくりしました。
そして迎えた、ボストン世界選手権。
王座奪還は確実だろうといわれていましたからね。
公式練習でのデニスとのことだったり、結構ネガティブなことが目立ってしまったりしましたよね。
現に羽生さん自身も靱帯損傷を隠していましたから、心身共に気が休まることがなかったことでしょう。
SPでは「おっしゃー!!みたか~!!!」と雄たけびを上げるくらいの本当に素晴らしい出来でしたよね。
FSではうまくかみ合わず、。
会場の温度がSPの時よりも高かったからだとかいろいろ言われていましたよね。
結果は2年連続の2位。悔しかった。自分も。
その後の情熱大陸だったかな。内容はあんまり覚えていないけど、辛そうだったかな。
そのあとはアイスショーも出ずに治療に専念してという感じでしたもんね。
そして、私が好きなシーズン2016-2017シーズン。
男子の真・4回転時代と命名した羽生さん。
その通りだと思った。
自分が見てきた時代は4回転が2本跳べればすごかった。
でもこの時は、ネイサンやボーヤンが4回転のルッツを跳んだり、昌磨くんがフリップ跳んだり、それに対抗するように羽生さんはループを跳んだりしましたもんね。
新境地を開いた「Let's Go Crazy」も懐かしいな。
白の衣装より、紫の衣装派。ルマンド衣装ね。笑
このシーズンはあまりにも、世界選手権の印象が強すぎるがあまり、シーズン前半の記憶があんまりないのですが、。
グランプリシリーズとかで見せていた、「もうちょっと」の仕草がかわいらしいな。
GPファイナルではねFSが少し乱れたけど、見事に4連覇を果たしてね。
かっこよかったなあ。
インフルエンザで欠場した全日本がありましたね。
あの時の全日本はなぜかすっごい寂しくて。
羽生さんがいないだけでこんなにも寂しいんだなと思うんだ。
そんな感情に思ったのを覚えています。
そのあとの四大陸選手権ではね、久しぶりのネイサンとの直接対決でね。
負けたことがほんっとうに悔しいんだなって思うくらい凹んでてねw
ここまで悔しがることができるのもかっこいいなって思いましたね。
そして、ヘルシンキですよ。
羽生さんと相性のいいフィンランド。優勝できるんじゃないかとも思ったけど。
いろんな強い選手がいたから、どうだろう。と思っていたら、。
SPで5位よ。98点で5位よ。
レベル高すぎだろうよ。
サルコウのあとのあれはどうだったんだよ。なんだよ。
よくわからぬままFSを迎えたのを覚えています。
FSは出掛けていたので、結果だけをネットで調べてみたのですが。
車を運転している人がいるにもかかわらず大きな声で「うおおお!!」と声を出してしまい、こっぴどく怒られてしまったのを覚えています。
そしてさらに家に帰ると。録画ができておらず、大号泣して。再放送を録画したのも懐かしいなあと。
久しぶりの世界選手権の優勝はやっぱりうれしかったですよね。
今でもたまに見返す時があるのですが。
やっぱり後半の鬼門であったサルコウが決まったあたりから、やっぱり見入ってしまう。
本当に彼の存在感の強さ・技術力の高さが光っていた大会だったなと感じます。
そして国別。あまりね本調子ではなかったけれども、久しぶりの金メダル。これもうれしかったな。
SPが悔しすぎて、4回転もう一本跳べばいいって思えるその精神よな。
羽生結弦の反骨精神?あってるかな笑
そして平昌シーズン。
オータムは惜しくもハビに負けちゃって、金メダルをうらやましそうに見つめる羽生さんがかわいかったり。112.72点出して歴代最高記録にしましたもんね。
ロステレコム杯はね。ルッツですよね。
ネイサンとまさかの初戦から直接対決。
惜しくも敗れて2位。だけど決まった4回転ルッツはすごかった。
2年ぶりのSEIMEIも衣装は新鮮で。
懐かしいなこのプログラムってなった記憶はありますね笑
その後のNHK杯。
ケガをしたらしいと聞いたのは当時のクラスメイトから。
最初はどの程度のケガかわからなかったので、「羽生さんならケガしても出るんじゃないかな」といったのですが。
報道を見て唖然。
脚が変な方向に曲がっているじゃないか。
「あ、これは終わった」
思わずそんな声が出そうだった。
今でもその映像は絶対に見たくない。
たびたびそのシーンが流れる時があるが、ルッツの軌道に入った瞬間に目を閉じる。
それぐらい、今でも絶対に見れない。
中国杯の激突の映像もそう。自分から開こうともしない。
その後の長い沈黙を破って出た平昌。
優勝してほしいとはもちろん思っていたけれど。
ケガがどのくらいの状態まで回復したのか。
全く分からなかったから、メダルが取れたらラッキー程度に考えていた。
もちろん、金メダル取ると信じてやまなかったけれど。
そして迎えたSPの日。2月16日だったかな?
学校をさぼってみた第4Gぐらいまで。
羽生さんの演技は自分のけじめのためにも見なかった。(最初から学校行けよ)
帰ってきて速攻でテレビをつけた。
111.68
1位
本当にうれしかった。
戻ってきたんだ。
インフルエンザ明け。体力が戻ってきていないにもかかわらず。
思いっきり跳んで踊って喜んだ。
翌日のFSは部活のイベントリハーサルのために前半は完全には見ることができなかったし、第3Gは疲れて爆睡してしまったのですが、最終G手前はしっかり見ることができました。あ、ネイサンも見たのかな。確か。
羽生さんが出てきたのは全体の22番目。最終Gの4番目。
オーラがすごかった。
孤高の王子かのような、けど陰陽師らしさもあって。
演技に見入ってしまって、解説・実況が邪魔になるくらい。
優勝が決まった瞬間は涙が出そうになりました。
その瞬間に親と一緒に仙台にパレードに行くことを決意いたしました。
仙台のパレードはあんまりよくないことではありますが、、。
お母さんとそのお友達が、夜中から場所を取ってくれて、一番前で見ることができました。
市役所のところだったので、最後までずっと羽生さんのことが小さくでも見えてうれしかったな。
写真撮ろうとして目の前でおしりを向けられてしまったのが残念だったけど笑
はじめて肉眼で見た羽生結弦はとっても美しくて、スーツ決まってて。
本当にこの世に存在するんだなってやっと実感できた時間でした。
そのあと、羽生さんの進退がわからなくて、正直この時に引退というのを考えているような発言も過去にあったのを覚えていたので、どうなるんだろうと思って時を過ごしていました。
その後もまた続けてくれて…。
2018-2019シーズン。自分のために滑る。
その言葉が本当にうれしかった。
続けてくれるだけでうれしかった。
試合にもちろん見に行きたかったけど、受験もあったり、経済的にも厳しくてこの年の世界選手権などの現地観戦はあきらめると話がついた。
この時期は自分が精神的にしんどい時が多くて。
学校にも行きたくない。誰にも会いたくない。
そんな時期が続いていた。
大好きな友達もきっと自分のことを裏切ったりしないってわかっていても。
信用できなくなるくらいしんどいことが続いた。いっぱい傷ついた。
でも、そんなときに自分の中の光だったのがやっぱり、羽生さんだった。
もし、このブログを羽生さんが読むことがあったら、本当に伝えたい。
羽生さんがいなかったら、自分は死んでいました。
きっと今ここにいなかったと思うと、本当に怖いけれど、羽生さんが頑張ってるから自分もがんばろうと思って、久しぶりに勇気を出して学校に行った。
そしたら、意外と大丈夫だった。
羽生さんに救われた。そんなシーズンでした。
試合についてはあんまり覚えていない。笑
ロステレの時にケガしたのも、すごくつらかったけれど、きっと戻ってくるって信じてたから、自分もがんばれた。
世界選手権を見たとき、感動した。
SPは抜けてしまって、出遅れちゃったけど。
FSで魂が震えるほどかっこいい演技をしてくれた!
本当にかっこよかったなって思えた。
銀メダルだったけれど、自分の中では金メダルだった。
そして、羽生さんの2018-2019シーズンは終わった。
このシーズンが終わった後のファンタジー。
地元である、福島に近い仙台での開催が発表された。
仙台の2日目に運よく当選したため、足を運びました。
羽生さんが演技をしているところは初めて見たのですが、やっぱり美しかった。
クリスタル・メモリーズ。
ToshIさんの歌声と相まって本当に神々しかったです。
初めて見ることができた羽生さんは本当に神々しくて美しくて、やっぱり好きだなと思えた。
そして、今までで一番楽しかったシーズン2019-2020シーズン。
この時は高校1年生。
勉強も部活もスケオタも必死にするイキイキした時期でした。
オータムで見た紫Originの衝撃。
部活の友達や先輩にしつこいぐらいにかっこよすぎる。と連呼したら、同調してもらえてうれしかった。
スケカナは圧倒的でした。
強さの中にしなやかさが生まれていたり、憂いを帯びていたり。
OtonalもOriginも本当に美しかった。ベストパフォーマンスはこのスケカナだと私は思う。
NHK杯は部活の全国大会の日程と丸被りした。
羽生さんと同じ日に大会があって一緒に頑張っているような気がしてうれしかった。
自分の団体は金賞を取ることができた。本当にうれしかった。
そして、羽生さんも優勝した。
そしてGPファイナル。SPでのミスはあった。FSでの冒頭4回転ループ・4回転ルッツがきれいに決まったときは思わず声が出た。
これはゾーンに入っているときの羽生結弦だ。
そう確信していた。
結果は惜しくも銀メダルだったけれど、久しぶりの4回転ルッツにシビれないわけがなかった。
欲を言えば最後に予定していた3A-3Aを決めるところは見てみたかったかな。笑
全日本もSPはよかったけれどFSはあまりにも見るのが苦しかった。
けれど、彼の執念を感じていたようにも感じました。
最後まであきらめずに戦い抜いた姿勢に私は心を射抜かれていました。
初めての全日本選手権での銀メダル。
なんだかちょっとうれしかったような気もして…
もちろん金メダルを掲げている羽生さんが好きだけど。
その時に優勝した昌磨くんに向けていた笑顔が忘れられません。
そして世界が大きく変わる直前の四大陸選手権。
男子初のスーパースラム。
うれしかった。
世界選手権が本当に楽しみだった。
コロナが流行してなかったら、羽生さんは優勝していたのだろうか?
タラレバばかり想像してしまいます。
羽生さんのことが心配な時期が続きました。
喘息持ちの羽生さんのことだから、きっと徹底的に気を付けているだろうとわかってはいてもやっぱり、心配でした。
羽生さんの心配をしている間に私も二度目のメンタルブレイク事件が起きました。
高校を単位制に変えることにしました。
正直あの頃はスケートの大会も新しい情報もなくて。
生き甲斐がなくなってしまっていて、そこにメンタルが揺れ動くようなことが重なってしまって。
しんどくてしんどくて、ついには身体が起き上がらなくなってしまって。
そんなときも羽生さんのことばかり頭の中には残っていました。
羽生さんだったらどう考えるのかな。
羽生さんなら乗り越えられるんだろうな。
自分の弱さを痛感するとともに、羽生さんは本当に強いんだなと感じました。
単位制の高校に代わったおかげでスケートにのめり込むことができました。
自分の時間も増えました。
全日本で久しぶりにみた羽生さんはやっぱり強い人でした。
自分も変わろう、何か始めよう。そう思えた演技でした。
バイトを始めました。
最初はつらかったけど、必死に耐えました。
羽生さんは頑張ってるんだ。そう何回も唱えながら。
世界選手権はバイトをなんとかお休みさせてもらいました。
羽生さんは、SPでは本当にかっこよくてキレッキレで。
苦しい世の中に光をともしているような。
そんなプログラムを見ることができました。
FSは本当に心配でした。
いつもはセットしている髪はノーセットのまま。
なにか異常があることはわかりました。
結果は3位。初出場の時と同じ順位に終わりました。
インタビューなどでは口には出していませんでしたが、喘息の発作があったりしたようでした。
とても苦しそうでしたね。見るのがつらくて今も見返していないかもしれないです。
その後の国別対抗戦には昌磨君と一緒に出場しましたね。
SPで見せたあの超絶おかしい姿勢で耐えた3A。
Twitterが沸いたのが懐かしいです。
FSも無難にまとめてTOTALで300点越え達成。
そして怒涛の羽生さんアイスショー出演ラッシュが始まりましたよね。
SOI,DOI。いつもなら出ていなかったアイスショーに久しぶりに出演してオタクが湧きましたよね。
見に行きたかったな、、。
そして私はバイトをただただひたすら頑張り続けました。
全日本選手権。会場がどこかはわからないけど、いけたらいいな。
そのためにきついことを言ってくるお客さんにも耐えました。
必死になってお金を稼いで、全日本に備えました。
会場がさいたまスーパーアリーナに決まったときは本当にうれしかったです。
ずっと行きたいなとあこがれてたさいたまスーパーアリーナに行けるかもしれない!
バイト頑張れました。
そうこうしていると羽生さんのグランプリ二戦とも欠場が発表になり…
全日本に出れるかどうかもいよいよ怪しいな…
でも見に行けるなら見に行きたい!
そう思って、クリスマス繁忙期が終わった12/26の日だけ応募しました。
少し時間が空いて当落発表の日の夜。
口座からお金が引かれていました。
これは、当たったのではないか?
そして、当選しました。というメールが届いてやっと現地観戦の夢がかなったことに大喜びしました。
羽生さんたちが見れる。
これが競技会で羽生さんのことを見れるラストチャンスだとは思ってもいませんでしたが。
きっとこれは運命でした。
学校を単位制に変えていなかったら。
きっとバイトはできませんでしたから。
もし、男子FSが一日早かったら。
私はバイトに駆り出されていましたから。
そんな運命が自分に巡ってきてよかったなと今思います。
初めて競技会で演技をする羽生さんを見れて本当によかった。
4回転アクセルに思い切り挑戦する羽生さんを見れて本当によかった。
会場で紙バナーを振れてよかった。
会場で聞いたラストの天と地との三線(あってないかもですが)の低くて響く重い音も。
耳から離れません。
本当によかった。
北京は悔しい結果に終わったけれど。
アンダーローテでも4回転アクセルの基礎点がはじめて使われた。
「認定」と言われているけど、正式な認定じゃないけど。
それでも歴史に名を遺した。
本当にこの人はすごい人だなと。
10年たってからも思わせられる。
そんなスケーターに今後私は出会えるのでしょうか。
もしも2009年におばあちゃんがたまたまテレビで全日本フィギュアを見ていなかったら。
もしもあの日、真央ちゃんのことに興味を持っていなければ。
もしも。羽生結弦という人がフィギュアスケートという競技を始めていなかったら。
羽生さんにこんなに心揺さぶられることはない人生があったのかもしれないと思うと想像ができない。
これは本当に運命のめぐりあわせだと思う。
最後になるけれど。
羽生さん。現役生活まずはお疲れさまでした。
そして、羽生さんのトリコにさせてくれてありがとう。
フィギュアスケートという競技を続けてくれてありがとう。
自分を犠牲にしても「羽生結弦」像をしっかりと貫いてくれてありがとう。
自分の人生を救ってくれてありがとう。
すべて運命です。
これからも応援し続けます。
誰よりも応援しますとは言いません。
オタクは自分が一番応援していると思ったら一番。
応援に優劣なんかないもん。
これからプロスケーターとして輝いていく羽生さんが楽しみです。
羽生さん。出会えてよかった。
応援できてよかった。
ちゃんと演技を見ることができて本当によかった。
運命。ありがとう。
神様、わたしに運命を導いてくれてありがとう。
10年間、本当に幸せでした。
これから10年後も羽生さんのことが好きでいられたらうれしいな。
羽生さん、ずっと大好きです。
長くなりましたが、ここまで読んでくれた方もありがとう。